10月1日「物語の物語」
映画の日に映画を観に行くと決めて、それを実行してきたのですが、シネコンだからといって、観たい映画をすべて上映しているわけではありません。そこで、先日の日曜日は、仕方なしにシネコンのハシゴをするハメになりました。映画を観に行くのも大変です。
というわけで、1日はワーナー・マイカルつきみ野と109シネマズ・グランベリーモールへ行きました。観たのは「夜のピクニック」「レディ・イン・ザ・ウォーター」「もし昨日が選べたら」の3本です。
「夜のピクニック」
「夜のピクニック」は第2回本屋大賞を受賞した恩田陸の原作を「青空のゆくえ」の長澤雅彦監督がメガホンを取った作品です。「青空のゆくえ」は私がその年の邦画ベストに選んだ秀作ですから、同じ監督の最新作と聞けば当然期待してしまいます。わざわざシネコンのハシゴをしたのも、この作品を観るためだったのですから。
物語は、北高という高校で例年行われる「歩行祭」が舞台です。この「歩行祭」、24時間かけて80㎞を白いジャージ姿の生徒たちが1000人揃って、ただ歩くだけの伝統行事ですが、最初の60㎞は団体行動でも後の20㎞は好きな仲間と歩いてよいというところがミソです。つまり、仲間と歩きながら様々なことを話し合い、互いに胸の内を語ることで、友人達との絆を深めたり、新しい絆が生まれることを暗に期待しているわけで、生徒達もこの行事を好きな相手への告白の好機と受け止めています。
さて、映画ではこの歩行祭を舞台に、各生徒達の心の交流を通して、原寸大の青春を淡々と描いています。主人公に秘めた謎があるところや、ゴールまでに決着を付けなければいけないという時間的制約があるところは、「青空のゆくえ」と同様です。もちろん、その謎もそれ程深刻な謎ではありませんし、大事件が起こるわけでもありません。ただ淡々とただヌルヌルと物語は進行するわけで、この変に飾らないところが実は清々しいところなのです。
だが、さすがの監督も、ただ歩くだけの話では観客が飽きるのではないかと危惧したのでしょうか、様々なギャグやメルヘンチックな幻想シーンなどを織り込んで、作品に色々な味付けを試みてしまいました。おかげで、悪ふざけのギャグは外しまくるし、奇をてらった幻想シーンは浮きまくってしまいました。この点、もっと歩くことに集中して真摯な態度を貫いて撮れば良かったのにとも思います。いや、むしろ「ピクニックの準備」に描かれているエピソードを含め、群像劇としてまとめあげることはできなかったのでしょうか?
ただ、主演の多部未華子は相変わらず素晴らしく、未来の大女優の片鱗を充分見せてくれました。この子の表情をもっと追っていれば、余計なセリフはいらないのにと、ついつい思ってしまいます。ついでに言えば、「どろろ」は絶対彼女が演じるべきですよ!
☆☆☆★★★(幻想シーンが無ければ★がひとつ増えたのに…)
「レディ・イン・ザ・ウォーター」
これまでM.ナイト・シャマランの作品と言えば、思わせぶりな予告編に何度も欺され、ラストのどんでん返しに拍子抜けしてきたものです。今回の作品も海外の批評では最低だし、興行的にもさっぱりで、また同じ轍を踏まされるのかと内心ビクビクしていましたが、いや、観てビックリですよ!まさに予告編通りの内容だし、つまらないどんでん返しも無しですから。そして、批評が最低な理由も、興行的に芳しくない理由もすぐに分かりました。なにしろこの映画、批評家と映画会社に敢然と挑戦状を叩き付けているのです。偉いぞ、シャマラン!私はこの一作で、すっかりシャマランが好きになりました。ただ、やっぱり観客の反応は賛否両論だろうなあ。(以下ネタバレです)
物語はまさに現代の「おとぎ話」です。フィラデルフィアのコープ・アパートの管理人「クリーブランド(断崖絶壁)」はプールに夜な夜な現れる「ストーリー」という謎の少女と知り合いますが、実は彼女は水の世界から、このアパートのある人物にメッセージを伝えに来たのです。そのメッセージは世界の未来を左右する程大切なものなのですが、それを阻止する邪悪な存在もアパートのそばまでやって来て、彼女の命を執拗に狙っています。彼女の使命を全うさせて、無事に元の世界へ帰すためには、同じアパートに住む隠れた仲間を捜し出さねばなりません。果たしてクリーブランドは、メッセージを受け取るべき人物と仲間を捜し出し、ストーリーの使命を全うさせ、帰すことができるでしょうか?
まず、この映画は映画批評家を痛烈に批判して(何しろ、映画の中で唯一悪く描かれた人間ですから…)、批評家たちを敵に回しています。そして、批評家達がよく口にするシナリオ作りのルールに、ことごとく逆らっています。これだけでも批評家の評価が最低になるのは間違いないでしょう。次に、シャマランはディズニーとの契約が切れたのを幸いに、「シックス・センス」以来自らに掛けていた呪縛「ラストのどんでん返し」を綺麗サッパリやめて、新しい映画会社ワーナーでは、自分がやりたかった本来のスタイルを貫きました。当然こけ威し的な大がかりな宣伝にはならず、興行的にもマイナスになったに違いありません。
また、この作品にはシャマラン自身が大変重要な役で出演しています。今までもちょい役で出てはいましたが、これほどメインに出てきたのは初めてでしょう。それは恐らく、監督が伝えるべきメッセージをこの登場人物に託していたからこそ、自ら演じなければならなくなったのでしょう。アパートの住人が人種や文化、宗教、言語において世界の縮図になっていることからも、監督の意図は明らかだと思います。
そして、謎の少女の名前が「ストーリー」であることは、この物語自体が「物語の物語」であることを暗示しています。少女の使命を全うさせるということは、物語を成就させることに他なりません。ですから、住民が疑いもなく少女に協力的であることに疑問を持つことも、実は的外れなのかもしれません。なぜならここに登場する人々は、少女と会う前から、それぞれの役割をあらかじめ持っている、「物語」の一部なのですから。
☆☆☆☆★★★(映画は「批評」のためにあるわけではありません!難しいことは抜きにして、単純に楽しみましょう♪)
「もし昨日が選べたら」
もう、なんてタイトルなんでしょうね!だって、映画の中では、ちっとも昨日なんて選んでいませんから!原題は「CLICK」で、ここに登場する万能リモコンを押す音を暗示していますが、確かに邦題を付けるのは難しかったかも?
ある日突然、すべてをコントロールできる万能リモコンが手に入ったらどうなるかというドタバタ・コメディですが、とにかくこのリモコンが凄い!基本的にTVのリモコンと操作は同じで、TVを再生できるばかりか、すべての物を早送り、早戻し、スロー再生、巻き戻し、一時停止にコマ送り、チャプター跳ばしも思いのまま。もちろん音量調節や色補正、音声切り替えに、2画面表示に、標準・ワイド・パノラマ画面調整までできます。その上、自動操縦や操作記憶なんていう最新機能までついています。
主人公はこのリモコンを使って、自分の人生を自由に操縦しようとするのですが、これがなかなかままならず、何度も修正を試みている内に、思わぬ結果を招いてしまいます。
ハッキリ言って、このドタバタぶりはかなり度が過ぎて、ついて行けませんが、さすがそこはハリウッド、ちゃんと全体を家族愛でまとめあげ、結構そつなく感動的なお話しに仕上げています。
この作品の配給はソニー・ピクチャーズですが、劇中AIBOを車でひいてつぶしてしまうなんて自虐的ギャグまで飛び出したのには、ビックリ!生産中止だといっても、そこまで邪険にしなくても良いじゃないかと、ちょっと可哀相に思ってしまいました。
☆☆★★(気楽に観れば、それなりに楽しめます)
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