第七章 四号地の怪人

 もうだいぶ前から、陣屋横町と北馬場通りの間で環状六号線の工事が続いていた。第一京浜国道から海にかけての直線上にある民家は取り壊されて、四号地まで砂利道が延びていた。
 四号地というのは、この砂利道の先にある新東海橋を渡った先の埋め立て地で、天王洲とも呼ばれている所だ。
 夏休みのある日、その四号地に池があるという噂が子供たちの間に流れた。なぜ埋め立て地に池ができたのかはわからないけれど、その噂を聞いて、ボクたちは色めき立った。
 どんな池だろうか?魚が泳いでいるんだろうか?深さはどのくらいあるんだろうか?ともかく、池と聞いて想像をかき立てられたボクは、すぐさま四号地に行くことにした。
 途中ホリさんの家に寄って一緒に行かないかと誘うと、ついさっきクラさんからも誘われたそうで、クラさんは先に行って待っているとのことだった。さすがクラさんだ。新しい物や珍しいことにはホントに目ざとい。そこで、ボクはホリさんと一緒に四号地に向かうことにした。
 四号地までの広い砂利道を歩いていると、ホリさんがボクにたずねた。
「ねえ、なんで四号地っていうか知ってるかい?」
「えっ?もしかしたら、四番目の埋め立て地ってことじゃない?」「うん、じつは第四台場が作られていた場所なんだ」
「へえ、第四っていうと、ほかにもお台場があったのかい?」
「そうさ。ホントは全部で11箇所のお台場が作られる予定だったんだよ」さすが物知りのホリさんだ。ボクが感心していると、ホリさんがたずねた。
「江戸時代の末に、米国から海を渡って、ペリー提督率いる軍艦の一団が日本にやってきたのは知っているよね?」
「うん、黒船来航だね」ボクも、学校で習ったばかりの知識を披露した。「でも、突然海に軍艦が現れて、みんな驚いただろうね」
「そりゃ驚いたの何のって、たとえて言えば、東京の空に巨大な宇宙船が現れたようなものだからね」ホリさんが笑った。「将軍でさえも、その知らせを聞いて、食事中に思わず箸を落としたそうだよ」
「ふ~ん。でもなんで、わざわざ軍艦でやって来たんだろう?」
 ボクが頭を傾げると、ホリさんが答えた。「それは軍艦で脅して、幕府に鎖国を解かせようとしたのさ。当時、欧米で灯油の主な原料だった鯨を捕るため、捕鯨船の基地を日本に作るのが本当の目的だったんだけどね」
「それで、幕府はどうしたの?」
「それが、幕府はのらりくらりと返事を先延ばして、なんとか一年待ってもらうことにしたんだ」ホリさんが苦笑いした。「そして黒船が帰るとすぐに、幕府は黒船に対抗するため、江戸の海岸線にそって11箇所のお台場を建造することにしたんだよ」
「でも、お台場って、砲台を置くための場所でしょ?」ボクが首をひねった。「そんな所、どこにも残っていないけどなあ…」
「なにしろ、黒船がまたやってくるまでに一年しかなかったからね。とにかく埋め立てしやすい遠浅な場所を選んで、突貫工事をしたんだけど、結局間に合わなくて、六つのお台場しか完成しなかったんだ。しかも、そのうちの一つは御殿山下台場で、ここは陸続きの岬に作られたんだよ」
「ああ、台場小学校がある場所だね」ボクが頷いた。「すると、学校のどこかに砲台の跡が残っているのかも…?」
「いや、一年後に黒船が来た時には日米和親条約が結ばれて、結局その後お台場の砲台は必要なくなったんだ。だから、砲台は一度も使われずに破棄されたし、建造途中の第四台場なんかは、そのまま埋め立てられて、今では昔のお台場の面影も残っていないのさ」
「なんだ、そうかあ」
 ボクは思わず、肩を落とした。四号地にそんな歴史があったとは知らなかったけれど、結局何の役にも立たなかったなんて、ちょっと残念な気がした。
 気が付くと、ボクらは橋の所まで来ていた。ここまで来ると、工事中ということもあって、大きなトラックが砂利道をひんぱんに行き来していた。
 4年後に東京で開かれるオリンピックに合わせて、東京中で新しい橋や道が作られていたけれど、この埋め立て地では環状六号線の他に、高速道路やモノレールも作られていた。特に四号地の奥の海岸沿いは、羽田の方から銀座に向かって、延々と工事が続いていた。

    

 この四号地と海を挟んだ向こうの埋め立て地には、品川火力発電所の巨大な煙突が二本そびえていたけど、去年いきなり一本立ったと思ったら、いつのまにか二本に増えていたのが不思議だった。それで、子供たちの間では、世界征服をもくろむ悪魔博士の秘密基地に違いないなんて噂が流れた。でも、これもきっと、ケン坊が流したんじゃないかな。
 それはともかく、四号地に着いたけれども、大きな倉庫が並んでいるだけで、池など見当たらない。
「あれっ、おかしいな。池がないぞ」ボクが首を傾げると、ホリさんが何か思いついたようで、
「はは~ん」と手を打った。「そうか、みんなの言う四号地は、ここのことじゃなくて、この先の橋を渡った先の埋め立て地のことに違いないぞ」
「ええっ?それじゃ悪魔博士の基地…じゃなかった、品川火力発電所のある所じゃないか」
「いや、それは橋を渡った右側の第一台場のあった所で、池のあるのは左側の第五台場のあった場所だよ」
「えっ?第一台場と第五台場がひとつになったの?」
「実はそうなんだ。その後も埋め立てが続けられて、今は両方とも一緒の埋め立て地になっているのさ」
 それは全く知らなかった。ホリさんと一緒に来なければ、きっと迷ってしまったに違いない。それにしても、第四台場も第一台場も第五台場もみんなひっくるめて四号地と呼ぶなんて、みんないい加減だな。
 そんなわけで、ボクたちは次の品川埠頭橋も渡って、その先の埋め立て地に向かったんだ。
 橋を渡ると、道が三方向に分かれていて、右側には品川火力発電所の巨大な二本の煙突が異様にそびえていた。確かに近くで見ると、その大きさに驚かされて、悪の組織の基地だなんて思いたくもなる。
 しかし、今はそんなことよりも、池を見つけなければならない。左側を見ると、広大な荒れ地が広がっていて、一面に草が生い茂っているけど、きっと目指す池は左に向かう道の先にあるに違いない。
 そう信じて、ボクらは左側の道を行くことにした。道の両側には背丈ほどの草が茂っていて、全く先が見渡せないけれど、とにかく道に沿って歩いて行った。そして、しばらく進むと急に視界が開けて、目の前に大きな池が現れた。
 池を見ると、すでに十人くらいの子供たちが、どこから持ち込んだのか、壊れた板塀を筏代わりに浮かべて遊んでいた。
「どうやら池と言うよりは潟みたいだ…」ホリさんがつぶやいた。「海水が陸地に入りこんで出来たんじゃないかな」
「へぇ~っ、そうなんだ」ホリさんの言葉にボクも頷いた。「ということは、ここの水は海水なのか?」
「そうだよ。だから、海の魚が泳いでいるんだ」
 たしかに池の中を覗くと、小さな魚が泳いでいた。けれど、それが海の魚なのかは、ボクにはわからなかった。
「おおっ、来たのか?」突然、横の草むらから声がした。
 振り向くと、クラさんが服に丸い虫のようなものをたくさん付けて現れた。
「なんだ、こりゃ?」
 ボクがそのひとつを摘んで見ると、ホリさんが言った。
「それは〈ひっつき虫〉だよ。…とは言っても虫ではなくて、オナモミという植物の実なんだ。ほら、そのトゲトゲの部分が動物の体にくっ付いて、実を遠くへ運ばせるのさ」
「へえ、そうなんだ」ボクはホリさんの物知りに、ただただ感心した。

   
「ところで、クラさんはなんで草むらに隠れていたんだ?」
 ホリさんが尋ねると、クラさんが急にしゃがみ込んで、押し殺した声で言った。
「ほら、あそこの丘の下を見てみなよ」
 クラさんが池の向こう岸にある小さな丘の麓を指さした。
 見ると、丘の下の部分が削られて土がむき出しになっていて、そこに不自然に大きな横穴がひとつあいていた。
「あれっ、なんであんなところに穴があるんだ?」ボクが声をうわずらせた。
「きっと誰かが掘ったんだよ」ホリさんが言った。「もしかしたら、防空壕の跡かもしれないよ」
「誰か住んでいるんじゃないか?」
 ボクが心配して言うと、クラさんが頭を振った。
「ぼくもそう思って、さっきから監視していたけれど、誰も出てこないし、きっと誰もいないと思うんだ。だから…」
「だから、どうしたんだよ?」
 ボクがたずねると、クラさんがニヤリと笑った。
「だから、ぼくらの秘密基地にしようと思うんだ」
「ええっ、秘密基地だって?」
 〈秘密基地〉、なんとボクらの心をそそる言葉だろう。
「ほら、ちょうど悪魔博士の基地を監視するのに良い場所じゃないか」
「秘密基地かぁ。面白そうだね」ホリさんまでもが賛成した。
 それで、しかたなくボクもしぶしぶ賛成することにした。
 ともかく中を覗いてみようということで、向こう岸まで池を回り込んで草むらの中を歩いて行った。おかげで、服にいっぱいひっつき虫が付いてしまった。
 丘の麓に着いてみると、垂直に削られてむき出しになった赤茶けた土の側面に、縦横1.5メートルくらいの横穴が掘られてあった。中は暗くてよくわからないけれど、結構奥が深いようだ。
「誰かいませんか?」
 穴に向かって、ホリさんが大声でたずねた。
 だけど、しばらく待っても、中から返事はなかった。やっぱり誰もいないようだ。
 そこで、三人は恐る恐る中に入って行った。だけど、今回はさすがのクラさんも懐中電灯を持ってこなかったので、なかなか奥に進むことが出来ない。でも、しばらくすると暗闇に目が慣れてきて、中の様子が次第にわかってきた。
 穴の奥は思ったほど深くはなかったけれど、三畳くらいの広さがあった。地面のあちこちに新聞紙や段ボール箱が散らばっていて、鉄製のコップや何かの容器まで置いてあった。やっぱり誰か住んでいたようだ。
 そう思うと、ボクは何だか急に居心地が悪くなった。
「もう出ようよ」
 そう言ってボクが振り向くと、クラさんは腕組みしながら、何か考え事をしているようだった。きっと、秘密基地の構想に夢中なんだろう。
 ホリさんも、そこに置いてあったコップや新聞紙を手にとって「これは三ヶ月前のものだから、今は誰も住んでいないようだね」と、落ち着き払った様子だ。
 と、突然、外で車の停まる音がして、何か話し声が聞こえてきた。
 一瞬、ボクたちは体が固まり、穴の外を見つめた。
 すると、穴の外に何かが現れた。外の日差しを背に受けて、陰しか見えないけれど、それは四つん這いになってぎこちなく動いていた。それを見て、ボクたちは背筋が凍った。いったい何だろう?
 そう思った次の瞬間、いきなり大きな声でそれが怒鳴りつけた。「こらぁ!人のねぐらに勝手に入るな!」 
「うわぁ~っ!」
 思わず悲鳴をあげて、ボクたちは外に飛び出した。途中、何かとすれ違ったけれど、目をつぶっていたので何かはわからなかった。
 外に出ると、息を弾ませながら穴の方を振り返ってみた。すると、暗い穴の中から、何か白いものが這い出てきた。
 それは白い浴衣のようなものを着たおじさんだった。頭には帽子をかぶっていた。だけど、何か様子が普通と違った。
 よく見ると、おじさんには足がなかった。両足とも膝から下がないのだ。
「おじさん、その足…?」ボクが声をふるわせた。
 すると、おじさんがまた怒鳴った。
「見せ物じゃないぞ!さっさと家に帰れ!二度と来るなよ!」
 そして、くるりと向きを変えて、また穴の中に入って行った。
 ボクたちは怖くなって、その場から逃げ出した。草むらの中をひたすら走った。夢中で走り続けた。
 池の反対側まで来ると、息が苦しくなって、思わずその場に倒れこんだ。しばらく草の上に大の字になっていると、ようやく我に返った。
「あのおじさんは何だったんだろう?」ボクが口を開いた。
「きっと傷痍軍人さんだよ」ホリさんが息を弾ませた。「戦争で手足を無くした兵隊さんだけど…」
「ああっ、品川駅の前でよく見かけるね」クラさんが口を挟んだ。「楽器を演奏して、みんなからお金を寄付してもらっているんだ」
「ふ~ん、そうなんだ」
 そう言ってボクは頷いたけれど、心の中では不思議に思っていた。
(あんな体で、ここからどうやって品川駅まで通っているんだろうか?)
 四号地から品川駅までは何キロも離れているし、途中には急な坂もある。トラックが行き来する危ない場所もある。どう考えたって、ひとりでこの距離を移動するなんて無理な話だ。
 その謎が解けたのは、それから一週間後のことだった。あのおじさんのことが気になって、ボクは品川駅まででかけてみたのだ。
 駅の西口前に行くと、クラさんの言ったとおり、同じような傷痍軍人の人たちがあちこちに立って、楽器を演奏していた。黒いメガネをかけた人や、腕や足のない人たちが、器用にギターやアコーデオンをひいたり、ハーモニカを吹いていた。それぞれの前には「更生ノ為ノ音楽ニ皆様ノ御協力願イマス」と書かれた白い箱が置かれて、寄付金を募っている。道行く人もけっこう足を止めて、音楽に聴き入っていた。
 四号地にいた、あのおじさんはいないかと探していると、一番奥の端でハーモニカを吹いていたおじさんがちらりとボクの方を見た。四号地のおじさんだった。でも、ちゃんと立っているじゃないか。不思議に思って足をよく見ると、木で出来た義足をはいていた。でも、簡素な義足なので立っているのがやっとという感じだった。
 でもやっぱり、ここまで通っているんだ。そう思うと、なぜかうれしいような悲しいような複雑な気持ちになって、涙が出てきた。
 時間が経つのも忘れて演奏を聴いていて、気が付くと夕方になっていた。
 すると、どこからともなく一台のトラックがやってきて、おじさんたちの前に停まった。
 そして、運転席から若いお兄さんがふたり降りてきて、おじさんたちを次々とトラックの荷台に乗せ始めた。
 どうやら、彼らがおじさんたちをねぐらからここまで運んでいたらしい。これで、ようやく謎が解けた。そう思って胸をなで下ろしていると、いきなり怒鳴り声がした。
「ぼうず、早く家に帰れ!」
 四号地のおじさんだった。荷台から声をかけてくれたのだ。ボクが思わず手を振ると、おじさんも手を振った。
 トラックのエンジン音が鳴って、走り始めた。八ツ山橋の方に向かって去っていくトラックを見送っていると、どこからともなくハーモニカの音が聞こえてきた。遠く離れているので、おじさんの吹くハーモニカの音が聞こえるはずはないけれど、ボクの耳には確かに聞こえたんだ。そして、それはなんだか、もの悲しい音だった。

注)これは事実を元に脚色を加えた物語です。なるべく当時を再現するよう努めましたが、なにぶん昔のことですので記憶違いや思い込みもあるでしょうし、記憶も断片的ですので、時間や場所など事実と異なる点もあるかと思います。また、プライバシーを考慮して、登場人物や人名などはあえて変えてあります。
【お台場少年うんちく集】

(17)お台場はなぜつくられたの?

 欧米諸国では産業革命によって、工場や事務所が夜遅くまで稼働するようになり、工業機械の潤滑油やランプの灯に必要な鯨油の需要が高まりました。そのため、捕鯨が盛んに行われていましたが、太平洋を運行する捕鯨船は鯨を追って日本近海まで来ていたので、補給地として日本の港が必要になりました。しかし、当時日本は鎖国していたので、1853年、米国政府は日本にペリー艦隊を送り込み、開国を迫りました。
 この時、ペリー艦隊が一斉に撃ち鳴らした号砲に江戸庶民はもとより、将軍さえも驚愕し、江戸中が大騒ぎになったそうです。
 即時開国を迫るペリーに対して、のらりくらりと返答を延ばし、ともかく一年の猶予を得た江戸幕府は、一年後の再来日に備えて、湾岸沿いに洋式の海上砲台を建造することになりました。建造場所には、単に造りやすいということから、遠浅な品川沖が選ばれ、当初11基の砲台場を造る計画でしたが、突貫工事のために雇った人足たちや資材に歳費がかさんだこともあり、結局ペリーが再来日するまでに完成したのは、第一台場から第三台場と第五台場と第六台場、それと、建造途中だった第四台場の代わりに造られた御殿山下台場だけでした。
 結局、この砲台場が実戦に使われることはありませんでしたが、作中に述べられているように全く無駄だったわけではありません。実は品川沖に来たペリーが完成した砲台場に(もしくは一斉に撃ち鳴らした号砲に)驚き、横浜へ引き返したという逸話も残っているそうです。おそらくたった一年でこんなものを造り上げた日本人に驚愕し、これ以上交渉を引き延ばせないと思ったことでしょう。そのため、1854年に米国との間で締結された日米和親条約において、日本側に有利に働いたかもしれません。

(18)傷痍軍人って、なに?

 戦争は多くの人の命を奪い、多大な傷跡を残しました。戦地で大きな傷を負って帰ってきた兵士は「傷痍軍人」と呼ばれ、国立療養所、のちの国立病院で療養を続けることになりましたが、手足を失った身体では社会復帰も難しく、街頭での募金活動で生活の糧を得る人も大勢いました。これが社会問題となり、1950年初頭に各都道府県の条例で街頭募金が禁止されましたが、傷痍団体と厚生省との交渉で緩和され、その後は団体公認の募金箱を設け、駅前や街頭で楽器を演奏するなどして募金を募るようになったようです。しかし、東京オリンピックを契機に政府による生活保護などが進められると、その姿も街角から次第に消えていきました。