第五章 夜の富士登山

 天王祭が終わると、もうじき夏が来る。裏の工場の事件から一ヶ月半も経つと、待ちに待った夏休みが始まった。
「今夜、隅田川の花火大会があるんだよ」
 夏休みが始まった次の土曜日に、ホリさんが言った。
「わあ、花火かあ。でも、どこから見ようかな?」
 ちょっと前までは品川からも隅田川の花火がよく見えたけれど、最近間にどんどんビルが建つようになって、少しずつ花火の下の方が見えにくくなっていた。
「やっぱり、御殿山からならよく見えるだろうね」
 ボクが思い出したように言った。
 御殿山というのは、北品川の北にある小高い丘で、その上に江戸幕府のお屋敷があったことから御殿山と呼ばれているんだ。ボクが住んでいる下町を見下ろすようにそびえている、まさに山の手というわけだ。
 そういえば「ゴジラ」という映画で、品川埠頭から上陸したゴジラが八ツ山橋を壊して再び海に戻るまでを、山根博士たちも御殿山に登って見ていたっけ。御殿山の上からなら、きっと隅田川まで見渡せるに違いない。
 すると、ホリさんが頭を振った。
「もっといい場所があるよ」
「ええっ?そんな場所あるのかなあ」ボクが首を傾げた。「この辺に御殿山よりも高い場所なんてないよ」
「それが、あるんだな」ホリさんが北馬場の駅の方を指さした。
 見ると、屋根の向こうに小さな山がそびえていた。
「あっ、あれは品川神社の…」
「富士山だよ」ホリさんがにっこり笑った。
 北馬場駅の前にある品川神社には富士山がある。江戸時代には「富士講」という富士山信仰が盛んで、富士登山が流行っていた。だけど、さすがに誰でも富士山の頂上まで登れるわけではなかった。そこで、より多くの人々に御利益があるようにと、江戸のあちこちにミニチュアの富士塚を作って、その山頂から富士山を拝めば実際の富士山に登ったのと同じ御利益があるということにしたんだって。もちろん、これもホリさんから教えてもらったんだけどね。
 品川神社は御殿山の南の端にある。境内は神社の入り口から急な階段を上っていった所にあるけれど、富士塚はその境内の横に、さらに6メートルもそびえている。だから、神社の下から頂上までの高低差は15メートルもあるんだ。まさに、都内では最大級の富士塚だ。
 さすがはホリさんだ。確かに富士山の上からなら、隅田川の花火も隅から隅までよく見えるに違いない。
 それで、早速富士山の山頂から花火を見ようということになった。もちろん夜に家を出ると親が心配するだろうから、お互いの家の夕飯に招かれたということにした。何しろ相手はホリさんだから、まったく疑われることもない。だから完璧な計画だとボクは思っていた。
 ところがその日の夕方、ボクが富士山に出かけようとすると、弟が自分も行くのだと言い出した。
 言い忘れたけど、ボクには二歳年下のヒトシという弟がいる。同じ台場小学校の1年生だが、弟には弟の友達がいるので、普段は一緒に遊ぶこともない。それがどういう風の吹き回しか、一緒に行くと言い出したので、ボクも驚いた。
「えっ、なんでヒトシも行くんだよ?ホリさんの家だよ」
「だからぼくも呼ばれているんだ」
「でも、今日はホリさんの家で一緒に勉強するんだよ」
「え~っ?富士山で花火を見るんじゃ…」
 思わずボクは、両手で弟の口を塞いだ。お母さんが怪訝な顔つきでこちらを見ているじゃないか。
「なんで知ってるんだよ?」
 小声で問いただすと、ヒトシが口をとんがらせた。
「だって、陣屋横町で堀口さんに会った時、ヒトシ君も来るんだろうって、言ってたもん」
「えっ?ホリさんがばらしたのか?しかたないなあ」
 ボクはあきらめて弟を連れていくことにした。
 ところが、家を出て表通りに出ると、今度はワラシが待ち受けていた。
「な、なんだよ?」
 顔を背けて通り過ぎようとすると、弟が言った。
「ワラシちゃんも花火を見に行くんだよ」
「えっ、ワラシも?」
「そうよ。ヒトシ君から聞いたのよ」ワラシがにこりと笑った。「品川神社の富士山に登るんでしょ?」
 ボクは一瞬、おやっと思った。相変わらず学校ではあまり話さないので気がつかなかったけれど、だいぶナマリが取れているじゃないか。これも、弟と話していて覚えたんだろうか?
 弟は小さい頃から、なぜか女の子と遊ぶことが多かった。男の子たちとメンコやベーゴマ遊びもしないで、近所の女の子たちとオママゴトなんかして遊んでいるんだ。だから、自然と弟と一緒に遊ぶことが少なくなっていった。でも心の底では、女の子たちとすぐに仲良くなって自由に遊べる弟がうらやましくも思っていた。 
 ともかく、そういう弟だから、ワラシと親しくなったのも頷ける。
「ちぇっ、しかたないなあ」
そんなわけで、ワラシも加えて三人で品川神社へ行くことにした。
 旧東海道を北に進み、陣屋横町の先の角を左に曲がって、北馬場通りを駅に向かった。そして、北馬場駅の前の第一京浜国道を渡ると、石造りの巨大な鳥居がそびえている。そこが品川神社の入り口だ。

 その鳥居の前で、ホリさんと待ち合わせしていたのだけれど、行ってみると、ホリさんのほかにクラさんも待っていた。
「おもしろそうだから、ぼくも来たよ」クラさんがチョロッと舌を出した。クラさんときたらリュックまで背負って、まるで本当の山でも登るかのような格好だ。
 すると、ホリさんがボクたちの後ろに目をやった。「あれっ、キミもいっしょなのか?」
「そうよ、わたしも行くよ」ワラシが頷いた。
「まあ、大勢いたほうが楽しいから、ぼくはかまわないよ。それより…」ホリさんが曇り空を見上げた。「雨が心配だなあ?」
 すると、すかさずクラさんが言った。
「だいじょうぶだよ。天気予報で、雨は降らないと言ってたから」
 さすがクラさん、準備にぬかりがない。
「さあ登ろう!」ホリさんのかけ声で、ボクたちは歩き始めた。
 昇り龍と下り龍が左右に彫られた双龍鳥居をくぐると、目の前に長い階段が上まで延びている。段差も結構あって、見た目にもかなり急な階段だ。天王祭の時は大人たちがここを大御輿を担いで降りるんだから、改めて驚いてしまう。
 ふいに弟のことが心配になって振り向くと、ヒトシは手すりにつかまって懸命に階段を上っていた。
「ヒトシ、だいじょうぶか?」
「だいじょうぶだもん。初詣の時だって上ったもの」
 そうだった。今年の正月もこの階段を上って初詣をしたんだっけ。小学一年生だからと心配する事もなかった。
 すると、ふいにホリさんが口を開いた。
「品川神社の裏に板垣退助の墓があるの、知ってる?」
「百円札に載っている人だろ!」クラさんがすっとんきょうな声を上げた。「へぇ、こんな所に墓があるんだ」
「でも、驚くのはまだ早いよ」ホリさんがしたり顔で続けた。「青物横丁の海晏寺には岩倉智己の墓があって、大井町には伊藤博文の墓もあるんだよ」
「えっ?五百円札の人と、千円札の人の墓も品川にあるのか!」
 ボクも思わず、驚きの声を上げた。
「ねっ、すごいだろ?品川区民として、ちょっと自慢できない?」
 そう言って、ホリさんは笑ったけど、ホリさんの物知りの方がよほどすごいと思うよ。
 階段を28段上っていくと途中に踊り場があって、この左横に富士登山口がある。入り口にはちゃんと一合目の標識もあって、この調子で頂上まで順番に標識が立っているんだ。
 それに、この品川富士の表面には本物の富士山から運んできた溶岩が積んであるので、まるで本当に富士登山をしているような気分になる。
 特に六合目からは斜面が急なので、階段をはうようにして登らなくてはならなかった。
「よいしょ、よいしょ!」ホリさんのかけ声とともに、みんな必死で登って行った。
「よいしょ、よいしょ!」ボクも弟もワラシもクラさんも、みんなで一緒にかけ声を挙げて、登って行った。
 そして、ようやく頂上にたどり着いた。ほんの数分間の登山だったけれど、なんだか達成感があった。なんといっても、頂上からの眺望が素晴らしいんだ。なにしろ大正時代には新東京八名勝の一つに数えられたくらいに、有名な場所だからね。
 どんよりとした曇り空がしだいに暗くなっていくなか、ボクたちは頂上からの眺めに、しばらく見入っていた。
 はるか南の海岸には羽田空港の明かりが見えて、滑走路からおもちゃのような旅客機が飛び立っていく。正面には北馬場駅とそれを横切るように京浜急行が走っている。駅のそばにある娯楽館のネオンと、そこから海の方向にまっすぐにのびた光の帯は北馬場通り商店街の明かりだ。
 そして、その向こうの埋め立て地には品川火力発電所の巨大な二本の煙突がそびえている。さらに海のはるか向こうには、房総半島の木更津あたりの明かりもよく見えた。
 すると突然、北東の方角から火の玉が上がったかと思うと、パッと大きな花火が開いて、ちょっとしてから「ドーン!」と轟音が響いた。隅田川の花火大会が始まったのだ。
 思わずボクらは「わぁ~っ!」と歓声を上げた。
 それから立て続けに花火が上がり、「ドーン!ドーン!ドーン!」と雷のような爆発音が鳴り響いた。
 ホリさんの言ったとおり、ここからなら、あちこちから上がる花火の全景が見渡せる。こんないい場所に、今まで誰も気がつかなかったなんて不思議なくらいだ。
 そう思っていたら、おじさんがひとり登ってきた。おじさんは自分よりも先に子供たちがいたので驚いたようだ。
「おい、ぼうやたち、夜ここに登るのは危険だよ」
 おじさんが注意した。
「でも、ここなら花火がよく見えますよ」ホリさんが言った。
「そりゃ、確かにそうだな。はははっ!」おじさんが笑った。「でも、帰りは気をつけるんだぞ」
 ボクは変なことを言うなと思った。だって、下りの方が楽じゃないの?
 と、突然夜空にパアッとひときわ大きな花火が開き、少し間をおいて「ドカァ~ン!!」と、ものすごい轟音が鳴り響いた。
「あれは二尺玉だ」おじさんが興奮したように声を張りあげた。「タマヤー!」
 それを合図に、花火が次々と花開き、ボクたちも一緒になって「タマヤ~!カギヤ~!タマヤ~!カギヤ~!」と、夢中になってかけ声をあげ続けた。
 どれくらい時間が経っただろうか?
 ドドドドドッと立て続けに花火が咲き乱れたかと思うと、突然パッと止んだ。どうやら花火大会が終わったようだ。

 静けさが戻ると同時に、あたりが闇に包まれた。気がつくと、いつの間にかおじさんがいなくなっていた。どうやら先に山を下りて行ったようで、山頂にはボクたちだけになっていた。
 さあ、帰ろうと思って、ボクはハッとした。
(しまった!暗くて足下が見えないぞ!)
 花火の明かりで気がつかなかったけれど、富士山にはどこにも照明がなかったのだ。しかも、あいにく今夜は曇り空で、星も見えなければ月も出ていない。眼下に街の明かりが少しあるので、人影だけはなんとかわかったけれど、腰から下は完全に闇に包まれていた。山頂までの道のりは昼間でもちょっと危険なのに、足下も見えないでどうやって降りたらいいんだろう?
 だからきっと、おじさんは花火が上がっている内に下山したんだ。ようやく、おじさんの言った意味がわかったけれど、もう遅い。
「どうしよう?」ボクは頭をかかえた。このまま富士山の頂上で夜を明かさなければならないんだろうか?いや、這うようにして、手探りで降りれば降りれないこともないんじゃないか?
 そう思った矢先、パッと明かりがついて、クラさんの顔が暗闇に照らし出された。下から照らしているので、ちょっと不気味だ。
「こんなことだろうと思って、懐中電灯を持ってきたよ」
 そう言って、クラさんがリュックの中から次々と懐中電灯を取り出した。さすがクラさん、準備にぬかりがない。
「でも、人数が増えるとは思っていなかったので三人分しか用意してないけどね…」
 全員の分はなくとも、足下を照らす明かりさえあれば十分だ。まさに地獄に仏。不気味だったクラさんの顔が仏様のように見えた。
 こうして山を下りられるようになったけれど、それでも夜の下山は大変だった。みんなで手分けして、一人一人の足下を照らさなければならないのだ。慎重に一歩一歩降りて行ったけれど、この時が一番怖かった。弟のことが心配だったけれど、見るとワラシがしっかり手をつないでいた。まるで、弟のことを気遣う姉のようだった。
 そして、なんとか一合目まで降りた時には、全身汗でビッショリになっていた。富士山頂からの花火見物は最高だったけれど、帰りの下山は最悪だった。こんな怖い思いは、もうこりごりだ。
 神社の階段を下り、鳥居のところまで来て、ようやくホッとした。でも、安心したら急におなかが空いてきた。しまった!夕飯をどうしよう?
 今夜は、ホリさんの家でごちそうになると言ってきたので、家に帰っても夕飯はないんだ。ホリさんも同じく、ボクの家で夕飯を食べることになっていたはずだけど、と思ってホリさんを見ると、いつものように平然としている。
「あれ、夕飯は?」
 ボクがきくと、ホリさんが笑った。
「ぼくは家で少し食べてきたから大丈夫さ」
 さすがホリさんだ。いつでも冷静に先を見越している。
「ぼくおなかが空いたよ」弟が文句を言った。
 すると、クラさんがリュックからコッペパンを取り出した。
「花火に夢中で食べるのを忘れてたよ」
 みんな驚いて、目を丸くした。さすが、クラさんだ。
「わ~っ!ぼくにも分けてよ」
 早速、弟がねだった。
「うん、みんなで食べようよ」
 クラさんがコッペパンをちぎって分けると、神社の階段に並んですわって、みんなでそれを食べた。
 美味しかった。
 けっして多くはなかったけれど、それだけでボクらは十分だった。
 なんだか今夜の花火見物は、いろいろ大変だったけれど、みんなが力を合わせて、無事にやりきった。そう思うと、胸もおなかもいっぱいになったのだった。

    【お台場少年うんちく集】

(10)ゴジラが上陸したのは何処?

 1954年(昭和29年)公開の「ゴジラ」で、怪獣ゴジラが最初に日本上陸したのは大戸島ですが、最初に本土上陸したのは何処でしょうか?観音崎のたたら浜に足跡が残っていますが、劇中にそれを証明するようなシーンはありません。
 直接初上陸シーンはありませんが、品川貨車操車場方面からやって来たゴジラが八ツ山橋を半壊して、再び戻って行くシーン(実際は五反田方面に向かっていましたが、その後のシーンがないので、編集ミスと思われます)があります。当時、品川貨車操車場は品川駅東口周辺(現在の品川インターシティ辺り)にありましたが、品川駅は港区にあります。そして、品川貨車操作場の海側には品川埠頭があり、品川埠頭は品川区になります。ですので、ゴジラが初上陸したのは品川区と考えられますが、いずれにしても、初上陸シーンがないので、港区か品川区かは微妙なところです。
 ちなみに二度目に上陸したのは芝浦で、その後霞が関に向かい、国会議事堂を破壊すると、有楽町方面に方向を変え、日劇や服部時計店の時計台を破壊するなど、銀座界隈を火の海にしてから浅草方面に進行し、隅田川から東京湾に戻って行きました。

(11)品川の富士山って、なに?

 江戸時代の中期には富士信仰(富士講)が非常に盛んで、富士登山が頻繁に行われるようになり、江戸を中心にたくさんの富士塚も作られました。富士塚は富士山を模して造った人工の小さな山で、この山に登って山頂から富士山を拝めば、本物の富士山に登ったのと同じように霊験あらたかであるとされました。
 富士塚には、実際に富士山の溶岩を積んだものや、古墳や丘などを富士山に見立てたものなど様々ありますが、特に、品川富士(品川神社)に代表される江戸八富士が有名です。江戸近辺には大変多くの富士塚がありましたが、その後の宅地造成などによりかなりの富士塚が消え、現在では50か所程度が残されています。

品川神社入口 登山道入口 一合目 二合目の胎内洞穴 三合目

四合目 八合目 富士山頂 山頂からの景観
(12)肖像画の人のお墓が品川区にあるって、ほんと?

 昭和30年代のお札の肖像画は、1万円札が聖徳太子、千円札が伊藤博文、5百円札が岩倉具視、百円札が板垣退助でした。聖徳太子のお墓は大阪の叡福寺(えいふくじ)に、伊藤博文のお墓は大井町の伊藤博文墓所(品川区)に、岩倉具視のお墓は海晏寺(品川区)に、板垣退助のお墓は品川神社(品川区)に、それぞれあります。
 ちなみに、聖徳太子の後(1984年)に一万円札の肖像画になった福沢諭吉のお墓も、大崎の常光寺(品川区)にありましたが、1977年に港区善福寺に改葬されたので、すべての肖像画の人物の墓が品川区に揃うということは実現しませんでした。

板垣退助墓碑 板垣退助の墓
(13)大正時代の新東京八名勝とは、なに?

 1932年に、東京市が35区になったのを記念して、報知新聞社が新東京八名勝を選定することになりました。選定方法は市民の投票によって決められ、その結果、池上本門寺、西新井大師、品川神社(北品川天王社)、日暮里諏訪神社、赤塚松月院、目黒祐天寺、洗足池、亀戸天神の八名勝が選ばれました。
 作中、富士山頂からの景観が選ばれたような記述がありますが、他の七名勝からもわかるように、選ばれたのは品川神社そのものですので、必ずしも富士山頂からの景観とは限りません。