お台場少年

さく:田森庸介  え:勝川克志


第1章 第2章

   第三章「ナゾの工場」
    
                
 ガラガラガラ!

 煉瓦作りの建物から隣の建物へ、湾曲した渡り廊下を轟音が響いてゆく。いったい何だろうか?

「へへっ、あれは棺桶だよ」ケン坊が不気味に笑った。

 家の裏にある長屋に「ケン坊」という、ボクよりも二つ年長の子がいた。本名は知らないけれど、とにかくみんなから「ケン坊」と呼ばれていた。ボクらの間では、親しい友達はたいがい「ちゃん」をつけて呼ぶのが普通だけれど、一目置く相手には「さん」をつけて呼んだ。なのに「坊」をつけて呼ぶのは、ちょっとバカにしているみたいだ。それとも、いつも坊主頭だからかな?

 でもやっぱり、自分より年長なのに「ケン坊」と呼び捨てにするのはあんまりだから、ボクは面と向かっては「ケンちゃん」と呼んでいたんだ。

 とにかく、そのケン坊だけど、近所にまつわる様々な怪奇話にはやたら詳しいんだ。法禅寺の墓に火柱が立つ話や、南馬場の投げ込み寺の話。荏川橋の畔の家に按摩のお化けがでる話。どこかは知らないけれど、お稲荷さんのある路地を通ると狐に憑かれる話。もちろん、あの朝日楼の幽霊話もケン坊からきいたんだ。

 このあたりは昔の品川宿だから、遊女屋もたくさんあって、夜の仕事をする女の人が多く住んでいたんだそうだ。どういう意味かはよくわからないけれど、とにかく、そういう土地柄だから色恋沙汰や陰湿な事件も多くて、そこから自然と怪談や妖怪話が囁かれるようになったらしい。そうでなくとも、このあたりは神社仏閣がやたら多いし、鈴ヶ森処刑場にも近いから、街を歩けば、お化けが出てきそうな路地やいわくのありそうな建物がいっぱいあるんだ。

 そんな建物のひとつが、ボクの家の裏にあるナゾの工場だった。その工場は煉瓦作りの二棟の建物で、棟の間には渡り廊下のようなものが渡してあって、時々一方の建物からもう一方に、ゴロゴロと何かが移動する音が聞こえてきた。工場の周りには板塀がぐるりと張り巡らされていて、中の様子はわからないけれど、時々鳴る轟音が恐怖をかき立てた。

 中でいったい何をしているんだろうか?前々から疑問に思っていたけど、突然出たケン坊の言葉に、ボクは肝をつぶした。

「棺桶って、何がはいってるんだい?」

「決まってるだろ、人間の死体さ」

「ええっ、ここ火葬場だったの?」ボクは声を震わせた。

「何言ってんだ」ケン坊が相変わらずニヤニヤしながら言った。「ここが火葬場であるわけがないだろ、煙突もないのに」

 確かに、火葬場には煙突がつきものだ。

「じゃあ、いったい死体をどうするんだい?」

「ヘへへっ」ケン坊が勝ち誇ったように笑った。「死体を集めて、改造してるのさ」

 ケン坊の「死体を改造する」という言葉が妙にひっかかった。

「『死体を改造する』ってどう改造するんだ?」

 ボクが興味深そうにたずねると、ケン坊が得意満面の顔で言った。

「それはだな、いろいろな死体の優秀な部品だけ集めて、最強の人造人間を組み立てるのさ」

「まるで、プラモデルみたいだね」

「おう、プラスチックの代わりに死体の部品を使うというわけさ」

 そんなことをするのは、いったい誰なんだろうか?まさかフランケンシュタイン博士みたいな人がいるんだろうか?

 ケン坊にいくらきいても、「そんなこと知らないよ」と言うだけで、それ以上は話してくれなかった。

 それで、半信半疑ながらも、この工場のことがボクは気になって仕方がなかったんだ。

 それからしばらくして、さらわれた子供たちが、この工場で改造手術を受けているらしいという噂がたった。

 親の言うことをきかない子供は、人さらいに捕まってサーカスに売られてしまうぞと、ボクらはいつも大人たちから聞かされていた。だから、この噂を聞いて、付近の子供たちは大いに震え上がった。

 もちろん、この噂を流したのも、きっとケン坊に違いない。

 それでも、ナゾの工場のことが気になって仕方がないボクは、なんとか工場の中に入って、噂が本当か知りたくなった。

 そこで、ボクはケン坊にきいたんだ。

「どうにかして、あの工場の中に入る方法はないかな?」

 すると、意外な答えが返ってきた。

「目黒川にそって裏に回れば工場の入り口があるけど、入り口の扉はいつも開いているから、いつでも入れるさ。でも…」

「でも…なにさ?」

「入り口のそばに、古い銀杏の木が立っているんだけどさ…」

「その銀杏の木がどうしたんだい?」

「昔、その木で首吊り自殺した女の幽霊がでるそうだよ」

「えっ、また幽霊か!」

「そうさ、だけどこいつはタチが悪くてね。昔亡くした子供を取り戻したくて出てくるのさ。それで…」

「それで…?」

「ぼくらみたいな子供が銀杏の木に近づくと、いきなり現れて、あの世にさらって行ってしまうんだよ」

「ええっ!?

 ボクは思わず息を飲んだ。ナゾの工場も怖いけれど、こっちの幽霊の方がもっと怖いじゃないか!だいたい、朝日楼の幽霊を見てから、ボクは幽霊にはもうこりごりだった。

 そんなわけで、裏の工場のナゾを解く意欲もすっかり消えてしまったんだ。

 それから、やがて六月に入り、天王祭の日がやってきた。天王祭というのは、六月の六日から九日にかけて行われる地元のお祭りだけど、どういうわけか、品川神社の北ノ天王祭と荏原神社の南ノ天王祭のふたつに分かれていて、これらが同時に行われるんだ。

 北ノ天王祭の見物は品川神社にある四八〇貫の大御輿を担いで神社前の急な階段を降りる「宮出し」だけど、南ノ天王祭の見物はなんといっても御輿を担いだまま海に入る「海中渡御」だ。

 

荏原神社を出たお御輿は旧東海道沿いに青物横丁まで行って、海晏寺の前で海に入り、遠浅の海の中を洲崎町まで進んで寄木神社の前で陸に上がるのだけど、この「海中渡御」から、南ノ天王祭は「河童祭り」とも呼ばれているんだ。

 でも、ボクたちのお目当ては昼の祭りの方ではなくて、もっぱら夜に開かれる露店や屋台の列の方だった。金魚すくいに飴細工、お面に風車、綿菓子、水飴といった定番もあれば、雑誌の付録ばかり売っている店や、いかがわしい「透視鏡」なんてものを売る店もあった。

 そんな露店や屋台が品川神社から北馬場通りを街道までと、品川橋の畔から荏原神社の境内までの二カ所同時に並んで、荏原神社の境内には見せ物小屋まで建ったんだ。

 この夜になると、あちこちから人々が集まり、旧街道沿いの商店街は大変な賑わいになった。

 そんな雑踏にもまれながら、ボクはふとナゾの工場のことを思い出した。今夜なら人が多いから、幽霊も出ないかも?行くなら今しかない。

 そう思い立って、ボクはいつしか品川橋の畔を荏原神社から東へと歩き始めた。ケン坊の話では工場の入り口はいつでも開いているそうだから、もしかしたら中を覗けるかも知れない。

 品川橋から目黒川沿いの道を東に下ると米屋があって、その先に北へ直角に曲がる支流がある。昔はこちらの方が本流だったそうだけど、その旧本流にそって道を左に曲がると、例の工場があった。

 でも、道を曲がって、ボクはギョッとした。明るい商店街の雑踏や人混みが嘘のように、真っ暗な川沿いの道には人っ子一人いないんだ。

 工場の入り口を見ると、ケン坊の言ったとおり、扉が開いたままになっていた。それでボクが扉に近づこうとしたら、石のような物を踏んで思わず足を滑らせそうになった。何だと思って、手に取ってみたら、なんと氷の欠片だった。

 六月のこの時期、道路の上に氷の欠片が落ちているなんて、なぜだろう?ボクは不思議に思った。

 ほとんどの家には冷蔵庫なんて無かったから、氷と言えば近所の氷屋で買うしかなかった。氷屋といってもかき氷の店じゃないよ。大きな氷のブロックをお客に切り売りする店のことで、そんな氷屋が玉晶堂の二軒隣にもあったんだ。

 すると、氷が落ちていたって事は、もしかしたら、死体が腐らないように氷屋から買った氷で冷やしているんじゃないのか?そう思って、ボクは急に怖くなった。

 だけど、今は怯えている場合じゃない。工場の扉は開いたままだし、中に入れるチャンスじゃないか。急いで工場の中を覗いて、今まで気になっていたナゾを解くんだ。

 そう自分に言い聞かせたけれど、本当に棺桶や氷詰めの死体があったらと思うと、足が震えてなかなか前に進めない。

 それでも、どうにか勇気を振り絞って門のそばまで近づくと、入り口のかすかな電灯に照らされて、すぐそばに大きな銀杏の木が立っている事に気がついた。

 思わずボクが立ち止まると、ふいに銀杏の木の後ろからぼんやりと白い人影が現れた。よく見ると、白い浴衣姿の女の人だった。ひどくやつれた表情で、黒くて長い髪の毛を胸まで垂らしていた。そして、手招きしながら声をかけてきたんだ。

「ぼうや、おいで…」

「でも……あの……その…」

 体を凍り付かせ、ただ震えるばかりのボクに、その女の人はニヤリと不気味に笑った。そして突然、ス〜ッと滑るように近づいてきたかと思うと、いきなりボクの手をつかんだんだ。

 ゾッとするほど冷たい手だった。まるで氷のような冷たさだ。

「そこにいないで、こっちへいらっしゃい…」

 息もかかりそうなほど顔を近づけて、女の人が笑った。

 不思議なほど優しい笑顔だった。けれど、その目はまるで生気がないかのように曇っていた。それを見て、ふいに、ボクはさっき道に落ちていた氷の塊を思い出した。

 次の瞬間、ボクの頭の中で、妄想がうずまいた。

 この冷たい手はホンモノだ。まるで、さっきまで棺桶に氷詰めにされていたみたいじゃないか!

 そして、ボクは確信したんだ。

 そうだ!きっと、工場で蘇ったばかりの死体に違いない。それが、外に出てきて、ボクも改造するように誘っているんだ!

「ひぇ〜〜〜っ!」

 ボクは氷のような手を必死にふりほどくと、その場から一目散に逃げ出した。後ろでまた呼びかける声がしたけど、振り向かないで前だけを見て、明るい旧街道の雑踏目指して、ただひたすら走り続けた。

 息せききって、ようやく通りの賑わいの中に戻ると、ボクはホッと胸をなで下ろした。そして、たった今見たこと聞いたことを思い出して、体を震わせた。危ない、危ない…。もう少しで、ボクも改造されるところだったじゃないか。

 そんなことを考えながら、商店街を我が家に向かって歩いていると、二軒となりの氷屋の前でマキちゃんに呼び止められた。マキちゃんというのは、氷屋の息子で小学校の同級生だ。

 青ざめた顔のボクが、ひとり震えながら歩いているのを見て、心配になったのだそうだ。

 それで、ボクが裏のナゾの工場を覗きに行った話をすると、いきなりマキちゃんが笑い始めたんだ。

「裏の工場は、そんな怖い工場なんかじゃないよ。〈日本冷凍〉っていう製氷工場なんだ。うちでも氷を仕入れているから良く知っているけれど、あのガラガラという音は、できあがった氷を運搬するために、別の棟に氷を滑らせている音なんだ」

 マキちゃんの話を聞いて、ボクは唖然とした。氷屋のマキちゃんなら知っていて当たり前だけど、氷を作る工場だったなんて!それなら、氷が落ちていても不思議じゃない。まったく、勝手に想像を膨らませていた自分がバカみたいだ。

 それにしても、ケン坊の言うことは、まったく当てにならないな。だから、みんなから「ケン坊」って呼び捨てにされるんだよ。あの女の人だって、幽霊でも死体でもないに決まっているよ。

 でも、幽霊でも死体でもないなら、いったいだれなんだろうか?なんで、あんなところにいたんだろう?まるで、暗がりに隠れて、ボクが行くのを待ち構えていたみたいじゃないか。もしかしたら、ホントは人さらいだったのかも?

 そんな疑問が残って、ボクはしばらくのあいだ、裏の工場には近づかないようにしていた。

 けれども数日後、学校から帰ってくると、勝手口横にある路地の奥にケン坊がいて、しきりに工場の板塀の向こうを覗き込んでいるじゃないか。

 もしかしたら、まだ死体があると信じているんじゃないだろうか?そう思ったボクは、この間のこともあるし、ひと言文句を言ってやろうと、ケン坊に近づいて行った。

 路地の奥まで行くと、板塀の左端に狭い抜け道があることに気がついた。(なんだ、わざわざ、川沿いの道を行かなくても、この抜け道を行けば裏の工場に行けるじゃないか…)そのことに気がつくと、余計腹が立って来た。

「ケンちゃん!いくら覗いても死体なんかないよ。あそこは氷を作っている工場なんだ」

 強い口調でボクがそう言っても、ケン坊はぜんぜん悪びれもしないで、逆に言い返してきた。

「いや、それは見せかけだよ。みんな知らないけれど、本当は死体を改造する…」

「ケン坊、いいかげんにしなさい!」

 突然後の家の玄関が開いて、女の人が出てきた。その顔を見て、ボクは思わずのけぞった。

「うわっ!」

 驚いたのなんのって、あの晩、ボクを浚おうとした女の人じゃないか。 昼間のせいか、よく見ると、きれいな顔立ちだ。だけど、目つきだけがちょっと変で、手には白い杖も持っていた。

「静江姉ちゃん、出かけるのかい?」ケン坊が神妙な顔つきで言った。

「あれ?この人、ケンちゃんのお姉さんなのかい?」

 すると、ふいに女の人が前屈みになって、息がかかるほど顔を寄せてきた。

「弟は、いつも夢みたいなことを言う癖があるの。真に受けないでちょうだいね」

 そして、あの時と同じ優しい笑顔で言ったんだ。

「この前の晩、銀杏の木の下で涼んでいたら、あなたが来たので注意したのよ。あそこの道には氷の欠片が落ちていて危険だからね、ぼうや」


注)これは事実を元に脚色を加えた物語です。なるべく当時を再現するよう努めましたが、なにぶん昔のことですので記憶違いや思い込みもあるでしょうし、記憶も断片的ですので、時間や場所など事実と異なる点もあるかと思います。また、プライバシーを考慮して、登場人物や人名などはあえて変えてあります。
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(6)「天王祭」って、どんなお祭り?

 品川では品川神社と荏原神社でふたつの天王祭が同時期に行われます。天王とは、牛頭天王(スサノオまたは須佐之男命)のことで、祇園精舎の守護神であるスサノオは水の神様でもあります。
 品川神社の例大祭は「北ノ天王祭」と呼ばれ、徳川家康が関ケ原の戦いの戦勝祈願成就のお礼に奉納した「天下一嘗の面(てんかひとなめのめん)」を屋根につけた葵神輿を担いで町内を渡御します。
 最終日には、本社前の急こう配の階段を上る宮入りが行われますが、現在は本社中にある四八〇貫の大神輿の宮出しは例年行われていないようです。
 一方、荏原神社の例大祭は「南ノ天王祭」と呼ばれます。
 江戸時代、番匠面(埼玉県三郷市)の村人が須崎付近を舟で通った時、海を漂う不思議なお面を拾いました。金色に輝くそのお面は牛頭天王(スサノオまたは須佐之男命)に似ていたので、貴布祢社(荏原神社)に奉納しました。すると、ある夜神主の夢枕に神様が現れて、海から拾ったお面を年に一度は海にもどすようにと告げました。それから、神輿の屋根にお面をつけて年に一度海を渡る、御神面神輿海中渡御(ごしんめんみこしかいちゅうとぎょ)が行われるようになり、神輿の鳳凰には番匠面で獲れた稲穂をくわえさせ、豊作と豊漁を祈ります。
 海を渡るその姿や、河童が牛頭天王の使いであることから、この祭を別名「河童祭り」と呼びますが、天王の面が拾われた場所はその後、「天王洲」と呼ばれるようになりました。
品川神社 品川神社本社 荏原神社

(7)「見世物小屋」って、なに?


 境内や公園などの空き地に小屋を建て、奇異な人や動物や芸を見せる興行のことを「見世物小屋」といいます。サーカスほど大がかりではなく、怪しげなところが特徴で、中には蛇を身体に巻き付けた「蛇女」や、大きな板に血糊を塗った「大イタチ」とか、大きな穴に子供が入った「大穴子」といった、ほとんど子供だましか、冗談のような見世物もありました。

(8)「氷屋」って、なに?
 
電気冷蔵庫が普及する昭和30年代以前の各家庭では、「氷箱」と呼ばれる、氷式冷蔵庫が使われていました。氷箱は、中に断熱材に覆われた金属製の箱がある木製の入れ物で、上下ふたつの扉があって、上に氷を入れて冷やし、下に食品を入れて保存しました。
 氷は近所の氷屋で購入しましたが、氷屋では、製氷所から仕入れた大きな氷のブロックを、のこぎりで切り分けて、量り売りをしていました。
 夏の間は盛況な氷屋ですが、需要が減る冬の間は、氷の代わりに石焼き芋な
ども売っていました。