2月9日「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」
1977年にアメリカ本国で公開されたSW「スター・ウォーズ」ですが、その後シリーズ化され、42年の年月を経て、ようやく最終話を迎えました。その間にCGI技術の進歩もあり、映像は各段に進歩しましたが、まさかIMAX3Dで観られる様になるとは夢にも思いませんでした。
 思い起こせば42年前、アメリカ本国で新しいSF映画がヒットしているという噂が日本にも流れてきました。今のようにインターネットもない時代ですから、海外の情報を得るには洋書店で海外の雑誌を買って読むか、海外にいる人からの手紙や電話を通じて得るしか方法がなかったので、一体どんな映画なのかと想像を膨らませて日本公開を待ちました。
 ところが、同時期スピルバーグの「未知との遭遇」の公開が決まっていたので、本国では「未知との遭遇」よりも先に公開されたのにもかかわらず、日本では「未知との遭遇」よりも後に公開される羽目になってしまいました。しかも、SWを観たスピルバーグが撮り直しをしたため、「未知との遭遇」はその年の暮れにまで公開がずれ込み、結局SWが公開されたのは、翌年の夏にまで引き延ばされてしまったのでした。
 こうしてようやく日本でも公開されたSWですが、ご存知のように日本でも大ヒットして、様々な業界に大きな影響を与えました。
 それまで、映画業界にはSFは当たらないというジンクスがあって、ハリウッドはもちろん、漫画業界でも長い間SFは敬遠されていたのですが、SWが公開されるやいなや事態は一変、もう猫も杓子もSFがもてはやされるようになったのです。
しかし、SWの映画界に与えた影響はそればかりではありません。そのほかにもジョージ・ルーカスは数々の変革を起こしました。まず、映画製作会社との契約の際、キャラクター権を取得したのです。それまで映画のキャラクターで商売しようと考えた人がいなかったこともあり、難なく認められました。おかげで、ルーカスはSWのキャラクター商品で大きな収益を得ることになりました。しかもその収益を次回作を作るための特撮工房の設立にあてたのです。こうしてできたのがILMで、その後の視覚効果技術の発展に大いに寄与しました。
 さらに、ルーカスはCGI に着目し、CGIの工房も作りました。このCGI 工房はルーカスの離婚の代償として妻に譲渡されましたが、それに注目した元アップルのスティーブ・ジョブズが買収し、その後PIXAとして花を咲かせたのでした。
 そして、ルーカスが新たに着目したのが、映画のデジタル上映です。この技術は劇場の上映方法を変えるものでしたが、ネット上映も可能にしました。おかげでその後Netflixの台頭を招き、ハリウッドの映画製作自体を脅かすことになったのでした。
 というわけで、それもこれも、みんなSWから始まったのです。公開から42年の年月を振り返ると、実に感慨深いものがあります。
一応シリーズ最終話の副題は「スカイウォーカーの夜明け」となっています。ルーカスにとって、「スカイウォーカー」という名前は余程意味のある名前なのでしょう。ILMのある拠点が「スカイウォーカー・ランチ」ですし、ルーカスの提唱するサウンドシステムは「スカイウォーカー・サウンド」と、ことあるごとに「スカイウォーカー」の名前がついています。それは、暴走族だった若いころのドライビングで感じた浮遊感を大事にしたいという思いからなのかもしれません。
 ともかく、最後のSWはファンの誰もが納得する終わり方をしていて、それは同時に新たなSWの幕開けを予感させるものとなっています。