MAY 2006
Diary

5月20日 「『ダ・ヴィンチ・コード』3つの謎」

 話題作です。原作は読んでいませんが、面白いらしいです。なんだか世間も盛り上がっているようなので、ついつい映画の日まで我慢できずに観てしまいました。20日は初日とあって、あちこちの映画館で長蛇の列が出来たそうですが、わたしがいつも行っているワーナー・マイカル新百合ヶ丘ではそんな混乱もなく余裕で観ることが出来ました。…って、全席予約だから当たり前だけれど、それでも隣の席二つが空席だったのには驚きました。きっとデートの約束が決裂したのでしょうね。
 
 科学や芸術に携わる人々にとって、自然の摂理や自由な感性こそが最も尊ばれるものです。ですから、権力や宗教の教義によって縛られたり歪曲されることは実に不本意なことです。そんな場合、多くの芸術家はささやかな抵抗として、どこかに自分の主張を潜り込ませるものです。ですから、レオナルド・ダ・ヴィンチが自分の作品の中に自分の思いを忍ばせていても、なんの不思議もありません。ただ、後世の人々がそのことに気づいて、それを「暗号」だと騒ぎ立てるだけのことなのです。ですから、「ダ・ヴィンチ・コード」といっても、そうとり立てて騒ぐ程のことではありません。もちろん、宗教の立場からすると大問題なのですが…。
 
 さて映画の方ですが、カンヌでの評価が散々だったとか、でも次の日はスタンディングオベーションだったとか、教会が抗議しているとか、上映禁止の国もあるとか、様々な噂やニュースが飛び交っていますが、蚊帳の外のわたしにしてみれば、大変贅沢な娯楽作品という印象でした。なんてったって、ドラマの背景には常に名画や彫刻や建物などの芸術作品があるのですから、それらを観るだけでも充分楽しめてしまいます。
 
 原作本は3冊にも渡る大長編だそうで、それを2時間半の映画にまとめたのですから、さすがに忙しい内容になってしまいました。「シオン修道会」とか「テンプル騎士団」とかいった宗教がらみの名称や「ウェストミンスター寺院」「ロスリン礼拝堂」といった名所旧跡、「最後の晩餐」やら「岩窟の聖母」といった名画などが、とにかく次から次へと飛び出して、まるでウンチクのジェット・コースターみたいです。多少の知識はあると自負していた私でも、それぞれの意味を咀嚼するのに忙しくて、折角の謎解きやサスペンスを楽しんでいる暇などありません。とはいえ、それでも途中でオチが推測できたのですから、結構脚色も分かりやすく整理されているのでしょう。
 
 しかしこの作品には、どうしても理解できない3つの謎があります。(以下、極度のネタバレにつき、自主規制します)
 
 一つめは「なぜタイトルがダ・ヴィンチ・コードなのだろうか?」ということです。原作のラストは知りませんが、この展開とこの終わり方にはどうも納得できません。順当に話をまとめるなら、当然ラストは「モナリザ」であるべきでしょう…。 「モナリザ」の右手はなぜか大きく描かれていますが、それは大きなお腹を右手で押さえているから、その分手前に来て大きく見えるのです。更に、「モナリザ」のX線写真を撮ったところ、その下にキリストらしき顔が浮かび上がったのだそうです。そのことから、モナリザはマグダラのマリアであり、マリアとキリストの子がお腹の中にいるということを、この絵は示唆しているのだという説もあります。この説を採るなら、最後はモナリザの絵で終わるのが、最も美しい終わり方のように思います。
 
 二つめの謎は「なぜオドレイ・トトゥがソフィーなのだろう?」ということです。ラングドン役のトム・ハンクスもイメージが合いませんが、ソフィー役といったら、若い時のソフィー・マルソーを連想してしまいます。(出来れば、若い時のオリビア・ハッシーが良いな)原作にどう描写されているかは知りませんが、前述の理由からいってイメージが違うように思うのですが…。
 
 そして3つめの謎は、「なんでソニエール館長はあんなメッセージを残したのだろうか?」ということです。そもそも、あんなメッセージを残す事自体不可能に思えますが…、百歩譲っても、最も大切なモノをわざわざ危険にさらすという行為が、どうにも理解できません。それに、本当なら陰の守護者がいても良いはずなんですけど…。 (原作では、多少なりとも理由が書かれているらしいですが…)

 

 というわけで、文句たらたらですが、結局かなり楽しませてもらいましたし、DVDが出たら、何度も観たいと思う作品でもあります。宗教にあまり拘りのない日本人には意外と受けるかも知れませんね。
 
 ☆☆☆★★★