11月27日「アラン・スミシーとトーマス・リー」
 
 「アラン・スミシー」という迷監督がいることをご存知だろうか?過去に「ガンファイターの最後」(1969)「ハリー奪還」(1986)「ハートに火をつけて」(1989)「デューン/砂の惑星・特別篇」(1994)「ヘルレイザー4」(1996)など沢山の作品を手がけている。結構長いキャリアの持ち主だが、彼が撮る作品に共通することはどれもこれも駄作だということだ。しかしどんなに駄作を作り続けようと、彼が仕事にあぶれることはこれからも無いだろう。それどころか彼自身が非難されることさえ決して無いのだ。なにしろ彼は存在すらしないのだから。
 
 製作会社やプロデューサーの意向で不本意ながら編集が変更されて監督がクレジットを拒否した場合、監督が空欄になってしまう。そこで便宜上考え出された架空の監督の名前が「アラン・スミシー」だ。映画の製作には非常に多くの人々が関わっているが、俳優の演技が拙かろうと、小道具に不備があろうと、結局全ての責任はそれを許した監督にある。その監督がクレジットに名を出さないと言うことは、つまりその作品に責任が持てないと言うことだから、アラン・スミシーの作品が面白いわけがない。
 
 さて、ここに新しい監督が登場する。名前は「トーマス・リー」。「スーパーノヴァ」(2000)の監督だ。このトーマス・リーも実在しない。映画解説によると、CGで俳優も作れる時代だからヴァーチャル監督も登場するようになったいうふれ込みだが、実際は監督が次々に替わってクレジットできなかったというのが真相の様だ。まあ、これも新しい時代のアラン・スミシーなのだろう。
 
 いずれにせよ、名前を表記するということは、そこに責任が生じるということだ。インターネットが氾濫するに連れ、無数のアラン・スミシーが暗躍するようになると、責任の所在が不明瞭な情報が増加して、益々情報の価値が下がって行く。インターネットの匿名性は大事だけれど、匿名性の乱用は文化の首を真綿で締めているような気がしてならない。
  
 本日ようやくレイ・ハリーハウゼンDVDライブラリー・リミテッドBOXの残りが届いた。これで全箱揃って一安心。さぁ、まだ映画に夢があった頃の古き良き特撮を満喫しよう。