5月31日

 成城の街並みを歩いていると次第に汗ばんで来る。今日は退院後2度目の診断を受けに世田谷の病院にやって来たのだが、まだ5月だというのに早くも真夏の陽気で、歩いているだけでかなり体力を削がれてしまった。

 病院は相変わらず混雑していたが、もう慣れっこになっているので待ち時間の間にあちこち色々な人に挨拶して廻る。顔馴染みが一杯出来てしまったので、この病院に来ると正直何だかホッとしてしまう。まぁ、家に籠もって仕事をしていると人付き合いが無くなるので、仕方ないと言えば仕方ないけれど、あまり良い傾向とは言えないなぁ。もっと積極的に色々な人と接する機会を持つべきじゃないかと少し反省する。

 そんなわけで帰りに、病院で知り合ったNさんと成城学園の駅で会う事にした。Nさんは70歳を越える高齢ながら、病室でも毎日雑誌や新聞各紙を隈無く読み込んでいて、その姿が異彩を放っていた。その穏やかな物腰と膨大な知識から、初め大学教授か何かじゃないかと思っていたのだが、聞いてみると長い間証券会社で市場アナリストをやっていたのだそうだ。で、よくよく聞いてみると同じ大学の大先輩であることが判った。成る程、何となく自分と同じ匂いを感じていたのだが、やっぱりそうだったのか。ということで、ちょっと親密になり、社会情勢や経済の事、それにもちろん株式のことなど色々と伝授してもらったという次第だ。

 「お年寄り」という言葉があるが、この言葉にはどうも抵抗感がある。一見丁寧語のようで、実はその裏に「お払い箱」というニュアンスを感じてしまうからだ。「リタイヤ」なんて直接的な言葉を使うのはもっての他だ。少子化が進み、高齢者が溢れる時代が来るというと、マスコミは何かネガティブなイメージで扱っているが、それはどうかと思う。

 生活環境や食生活の変化により、昔に比べて人間の寿命は随分と延びたものだが、実は体力や知力もかなり向上している。それに引き替え、若い世代の体力や知力は驚く程落ちているのが現状だ。このままの推移で行くと、もしかしたら体力と知力のレベルが高齢者と若い世代で逆転するかも知れない…、なんてことはないだろうが、少なくともこれからは元気な高齢者が街に溢れるに違いない。この知識と経験が豊富で礼儀正しい高齢者を「定年」という名の下に「お払い箱」にしてしまうのは社会にとっても大きな損失だ。もっとポジティブに「高齢化社会」を捉えて、この豊富な知識と経験を社会に生かすことを積極的に考えるべきだと思う。

 家に帰ったら、アスカ蘭の「SUPERHERO」から大量のアメコミが届いていた。嬉しい事にメビウスの新作本まであった。それにしても今だに新境地を開拓し続ける、枯れる事の無いメビウスの製作意欲には脱帽するしかないなぁ。私も見習って、絵を描き続けなければ!